歴史上の人物から考察する、長寿のための生活習慣

歴史上の人物の中には、過酷な生活環境の時代でありながら、現代人にも匹敵する長寿を得た人が散見されます。
いずれも、日ごろの生活習慣がそのカギを握ると考えられ、中には武将でありながら医師並みの知識を得て、それを実践することで自らの寿命を延ばしたと考えられる人物も存在します。

 

【麦飯へのこだわりがもたらした天下】

自らの長寿によって盤石の支配体制を確立し、その後長きにわたる歴史を紡ぐ江戸時代の礎を築き上げたのが徳川家康です。
関ヶ原の戦いに勝利し幕府を開いてからも、豊臣家を滅ぼすまでは安心できないと考えていた彼は、元々の健康的な食生活を維持し、さらに長年蓄えた漢方薬の知識を駆使して、よりいっそうの長寿を目指しました。
彼が最も重要視していたのが、麦飯です。
彼ほどの地位であれば、当時でも白米のご飯が当たり前でしたが、若い頃から麦飯を徹底させ、たまには白米をと気を利かせて膳を出した家臣を叱りつけるほどだったと伝わります。
倹約の意味合いもありましたが、彼は白米よりもビタミンB1やカルシウムが豊富な麦飯の健康効果を意識していました。
ビタミンなどという概念は無かったとしても、身体に良い食物であることを、日々自らの体調で検証していたと考えられます。
毎日の食も戦略の一環と考えていた彼の、天下取りを支えた小さな努力の一つが麦飯の常食と言えます。

【勝利を得たあとに自分に許した美食】

徳川家康が豊臣家を滅亡に追い込むにあたっての多方面からの戦略は大変緻密なものがあり、それらを実行するための人材を見出す眼力にも確かなものがありました。
年齢を重ねてさらに冴えわたる頭脳を支えたのも、麦飯の効用の一つと言われます。
白米よりも歯ごたえのある麦飯をよく噛んで食べることで、常に脳にほど良い刺激が行き渡り、加齢から改善させ、回転の速い思考を支えたとも考えられます。
そんな家康も、歴史に名高い大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした後、自らに美食を許した気配があり、俗説ともされていますが、鯛の天ぷらが命を縮めたと伝わります。
メニューはともかく、美味しいものを食べ過ぎた気配はあるようで、もはや、己に厳しい食生活を徹底させなくても良いと考えた家康の、心ゆくまでの贅沢が最期を早めたという気配はうかがえます。