歴史上の人物から考察する、長寿のための生活習慣

【遠島によって改善された生活習慣】

最終的に天下をより良い形で手中に収めた覇者として歴史に名を残した家康に引き換え、豊臣政権時代に準一門として栄達の限りを尽くしていた宇喜多秀家には、正反対の後半生が待っていました。
関ヶ原の敗者として八丈島へ島流しにされ、それまでの贅沢な生活から一変、日々の糧にも困窮する生活となりました。
珍しく接待を受けた先で出された白米を家族のために持ち帰ろうとした逸話が残るほど、米そのものを口することも困難なほどの過酷さに追い込まれ、自ら畑仕事に精を出し作物を得ていたと言います。
その労働と粗食が彼の身体をかえって健康に保ったのか、当時では驚くべき高齢と言える84歳で天寿を全うします。
長寿と言われた家康の73歳よりも、10年以上長生きをしたことになります。

【まとめ】

歴史に「もし」は禁物ですが、もし豊臣政権が長く続き宇喜多秀家がそのまま贅沢な生活を続けた場合、今でいう成人病になって寿命を縮めていた可能性もあります。
流人になったことで劇的な生活習慣の改善を余儀なくされ、その後50年ほどの長い年月、八丈島での過酷な流人生活を続けることになったのは、彼にとって幸運だったかどうかは、もはや永遠の謎となっています。